週刊外資系新聞

営業マネージャーのための予算必達術

メルマガ 2010年9月26日号

第3章 外資系企業で求められる語学力

第5節 できるのに「できない」という日本人。できないのに「できる」という欧米人

トルコで生まれてアメリカで教育を受け、アメリカの企業に就職し、今は日本企業のアメリカ子会社でマネジャーをしているという、洋の東西を良く知っているトルコ人の友人と話をしました。
意見が一致したのは、社員を採用する時に、履歴書に書いてあることや、本人が言うことを鵜呑みにしてはいけないという点でした。

欧米人、とりわけアメリカ人は「できないことでも、できると」言い張る。
一方、日本人は「できることでも、できないと」強弁する。

例えば、語学。
「日本語堪能」などと履歴書に書いてある人を採用してみると、まったく使い物にならないことが、少なからずあります。
漢字は読めないし、書けない。会議でも少し話が込み入ってくると、もう付いて来られなくなります。

感心するのは、それでも「できません」、「わかりません」とは言わないことで、「早口で聞き取れなかった」とか「途中から論旨が不明確になった」とか、言訳の日本語はとても上手だったりします。

一方、日本人の書く履歴書は、たいてい謙遜しすぎているので、「日常会話程度」なんて書いてある人が、英語を流暢に話せたりもします。
特に試験用に英語を勉強してきているので、読解力は高い。

トルコの友人が語ったのは、同じことがビジネス・シーンでもあるという例でした。
アメリカの企業は、商談の席で「こんな仕事が引き受けられますか?」と聞かれると、即座に「できます」と答える。そして、会社に帰ってから、会議を開いて、「どうやったらできるか」を相談するそうです。

ところが、日本の企業では同じ質問に、「できません」と答えることが多い。
そうトルコの友人は言います。
「部長、できますよ。以前やったことがありますよ」と、部下が横から小声で話しても、「難しいですね」などと答えてしまう。
で、会社に帰ってから、「そうだ、以前に同じような仕事を引き受けたことがあった」と、その部長は急に思い出すのだと。

この違いは何に根ざすのか?
謙遜の美学とか、目立ちたがり屋を排除する集団主義とか、美学や文化の問題なのでしょうか?
いや、ビジネスの場では、やはり功利原則が働いているはずです。
そこで、もう少し考えてみました。

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どっちが得か?
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二つの社会を考えてみます。

ある社会では、こういう評価が下されます。
1.「できる」と言って「できた」=当然。
2.「できる」と言って「できなかった」=嘘つき。
3.「できない」と言って「できた」=能ある鷹は爪隠す。
4.「できない」と言って「できなかった」=自己認識に優れている。
3番か4番を選んでおけば無難です。
結果として「でき」ても、「できなく」ても、「できない」と言っておいた方が良い。
最悪は2番の「できる」と言って「できなかった」場合で、信用を失います。

しかし、こういう評価が下される別の社会もあります。
1.「できる」と言って「できた」=ブラボー。すごい。
2.「できる」と言って「できなかった」=残念。次は上手くやれ。
3.「できない」と言って「できた」=何か隠している。心を開いていない。
4.「できない」と言って「できなかった」=無能。無気力。
ここでは1番か2番を選んでおいた方が得です。
「できる」と言っておいた方が良い。
3番は弱気なヤツと見くびられるか、気取っていると思われる。
最悪は4番で、「やる気」まで疑われてしまう。

最初の「できない」と言っておいた方が得な社会は、減点法で評価が行われる社会です。
この社会では現状のやり方を変えることを「リスク」として認識します。
「しくじって」しまうかもしれないからです。
リスクを予見し、保険を掛け、できれば回避することが知恵として尊重されます。

一方、二番目の「できる」と言っておいた方が得な社会は、加点法で評価が行われる社会です。
「できるか」どうかはなんて、やってみなけりゃ分からない。
なら、やってみなはれ。
持ち点はしょせん零点なんだから失うものはないだろう。
今が上手く行っていても、もっと上手くやれる方法があるのではないか。
そうした発想です。

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加点法はフロンティアを目指す
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減点法の社会は日本であり、ヨーロッパです。
フランス人やドイツ人と付き合うと、結構日本人と同じように、引っ込み思案で、「謙遜の美徳」を身につけているのに驚きます。
イギリス人はとにかく控えめですし、陽気な人間の典型のように思われているイタリア人も、ビジネスの場では思慮深く行動します。

各国に共通しているのは、長い歴史を持っていて、手着かずのフロンティアが国内に残されていないこと。
また、大抵の試みは既に一度試されたことがあり、その失敗による痛手も歴史に残っています。

企業でいえば、大企業です。
中小企業でも業績の安定した長寿企業にはこの傾向があります。
こうした企業では、「できる人」が標準なので、「しくじり」によるマイナス・ポイントでもないと、能力に差が付きにくい。

減点法の社会では「できる」ことでも「できない」と言っておいた方が得であり、身を守ってくれます。

翻って、加点法社会の代表はアメリカでしょう。
開拓あるのみ。しり込みする人間は脱落するだけです。
地上にフロンティアが無くなったら、J.F.ケネディが訴えたように宇宙空間にフロンティアを求めればいい。宇宙の次はインターネットの仮想空間にフロンティアを作ればいい。

企業で言えば、外資系の企業です。
規模の大小を問わず、また資本の出所や本社の所在地に関わり無く、他国の市場に参入しようとしているのですから、目の前に広がっているのは、フロンティアというわけです。

そう考えれば、外資系の企業が無闇に取引の仕組みを変えたがったり、一方的な要求をしてくることも、分からなくはありません。
知性のありようを疑うような楽天主義も、フロンティア・スピリットなんだと思ってください。

当たり前ですが、社会によって規範は異なります。
減点法社会と加点法社会の、どっちが優れているかという問題ではなくて、大事なのは両者の違いを分かっておくことでしょう。

「自信過剰も謙遜の行きすぎも、どっちも上司にすると大変だよねえ」とトルコの友と会話を終えました。

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