週刊外資系新聞

営業マネージャーのための予算必達術

メルマガ 2010年3月7日号

第1章 上司が欧米人

第9節 「責任過剰」で自滅する

 外資系企業では上司がよく変わる。
それも、会社から追い出されて、ある日突然いなくなる。
業績不振を管理者の能力不足と断罪し、責任を取らせるためである。その様子を目の当たりにした社員たちは萎縮してしまい、業績はさらに低迷する。この責任転嫁の連鎖を断つことが、営業マネージャーが業績を立て直すために行う最初のことである。ということを前回書きました。
 そう書いた筆者は、さぞ辣腕を奮い、その後のジャパン社を立て直したのか? 社員たちには活気が戻ったのか? そう問われると、答えはイエスでもあり、ノーでもあります。
 業績は立て直しました。しかし、私も「消えた上司」だったのです。
私の場合は責任ある立場を放り出して、そのジャパン社を
退職してしまいました。今から思えばいい職場だったのに、なんで転職なんかしたのだろうと自問することがあります。
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責任量保存の法則
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 トロント大学ロットマン校の学長であるロジャー・マーティンという方が書いた本があります。邦題は『頑張りすぎる人が会社をダメにする』、副題に“部下を無責任にしてしまう上司の法則”となっています。(小林薫訳・日本経済新聞社・2003年)
 ヒーロー型のリーダーシップは、責任過剰のリーダーを生み出す一方で、フォロワーたちの中に責任過小を発生させる。「あーあ、ボス一人で張り切っちゃって、我々は付いて行けないよ」といった状態ですね。
 責任量保存の法則という概念が紹介されています。
 人が一人で背負い込む責任の量には、自然にバランス作用が働くという興味深い指摘です。
 さらにこの責任量保存の法則は二つに分類されます。
 ひとつは静的な責任量保存の法則。これは2者の間で働く力で、一方の過剰責任は必ずもう一方の過小責任によってトレードオフされるという作用です。こちらがカッカするほど、相手は醒めていくという事態ですね。
 結局責任の総和は変わらないという法則です。
 もうひとつは動的な責任量保存の法則。
 こちらは一人の人間の中で働く作用です。個人が引き受ける責任の量は動的なものであって、無意識に増減が調整されている。過大な責任に耐えられなくなったとき、
一気に責任量を減らす行為をとることがある。それは「イチ抜けた」と、投げ出してしまうことである。
 静的な法則が働くときも、動的な法則が働くときも、共同作業が妨げられるので、1+1が1にしかならない。原題に”The Responsibility Virus”となっているように、責任の過剰と過小はウィルスのように伝播し、組織を弱らせるのだと考察されています。
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過剰責任に陥りやすい人
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 責任過剰はヒーロー型のリーダーに起きやすいと、マーティン氏は指摘しておられますが、私はどんなリーダーにも起きることだと思います。
 特に「出来る人」タイプに。
 話は少し横道にそれます。
 どんな人が早く管理職に昇進しますか?
 仕事が出来る人ですね。
 では、仕事が出来るかどうかを計る尺度は何なのでしょう? 難しい問題です。特に営業部員の場合、とても難しい。売上や利益といった数字で評価はできますが、これには運や周囲の手助けも影響する。
 それでも、評価はしなければならないとなると、結局は、測れるもので測るしかなくなるのです。
 つまり、実は営業マンであっても、評価されているのはデスクワークの出来・不出来だったりするわけです。外資系の場合には、これに語学力が加味されます。
- 日報がキレイにまとまっている。
- プレゼンテーションの資料の見栄えがいい。
- 企画書を要領よくまとめられる。
- 意見を簡潔に筋道立てて話すことができる。
 こうした点をどうしてもモノサシに使うことになってしまいます。言うまでもなく、これらは基本的な力ですから、無い人よりもある人の方が、仕事は出来ます。
 でも、大事な事が見落とされてしまいます。
 学校の勉強がよくできる人は、こうした事務能力が高いです。テストで測っているのは、早くて正確な理解力と、思考回路を効率的に動員できる能力なのですから。
 もちろん、これは大切な能力です。
 でも、学校と実社会では決定的に違うことがあります。学校で評価されるのは、「自分一人の力でやること」に対してです。テストの最中に勉強の出来る友達に話しかけて答えを教えてもらったら、罰せられますよね。
 ところが、実社会では、自分一人でやることよりも、他人の協力を取り付け、意思を通わせながらモノゴトを進めていく能力が求められます。
 今度はテストの答えを教えてもらえるような人間になっていることが、求められるのです。
 この違いを誰も教えてはくれません。
 勉強の出来る、事務能力の高い人は、自分一人で何とかしようと思いがちになるのです。
 ここに過剰責任が発生する深因があるのではないでしょうか?
 まず、デキる人は状況に適応するのが上手です。しばしば、上手過ぎます。また、新しい知識やスキルをすぐに習得でき、時に応じて何が求められているのかすぐに把握します。
 デキる人は理想を高く持っていますから、「できません」とは絶対に口にしません。こうして責任がドンドン積み重なっていきます。
 やがて、部下や上司にも同じような思考様式を求めるようになります。理解してくれない上司、自分に付いて来られない部下は劣った人間に見えてくる。
 他人が劣って見えるようになったとき、自滅は始まります。他者との共同行為なくしては、大したことは成し遂げられないのですから。
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ちびまる子に教えられる
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 責任過剰に陥ってしまったら、動的な責任量保存法則が働き、あげくは職場を放り出してしまうまで、もう歯止めが効かなくなってしまうのでしょうか?
 私の場合はそうでした。
 ヘッドハンターからの転職の誘いに乗り、会社に辞表を出した日。あの日の爽快な気分は、一気に責任がなくなったという開放感でした。(その時には、一番大切な責任即ち家族の生活を長期的に安定させる責任も放棄していたのです。やっぱり私はバカでした)。
 あの時実践していれば良かったなあ…と、今にして思う方法があります。
 アニメの『ちびまる子ちゃん』に、ナレーションが出てきますよね。まる子が自分一人で舞い上がっている時などに、「後先考えず、喜んでいるまる子である。後半へ続く…」と天の声のようにして出てくる、あれです。
 この天の声で、自分の状況を語ってみる。
「一人でイラだち、煮詰まったエースケである」という具合に。つまり自分を少し高い所から見てみるのです。臨死体験の幽体離脱現象みたいですが、自己相対化をしてみるのが大切だと思います。「一人では、何も出来ないことに気が付いたエースケである。後半へ続く…。ポン!」などと言って、やり直せばよかったな、と思います。
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付録
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『フィフス・エレメント』というSF映画で、ゲイリー・オールドマンが演じたゾーグという悪者を思い出しました。
 ゾーグはドジな異星人たちを手下に使っていて、彼らの頼りなさにいつもイライラしています。ついにここ一番という場面では、彼自身が乗り出し、宝物の入ったカバンを奪います。
「何かを成し遂げたいなら…、自分でやることだ」
“If you want something done, do it by yourself.”
 いいセリフだなと思ったので、まだ覚えています。
 そんなセリフを吐きながら、ゾーグがカバンを開けます。中には宝物と摺り替えられた時限爆弾が。爆発まであと5秒。4、3、2、1…。こうして彼も自滅したのでした。
 今回は色々話が飛びました。お付き合いいただいて有難うございます。
 さて、次回からは外資系の「いい所」にスポットを当ててみます。
題して「欧米型のマネジメント・スタイルに学ぶ」。第二章の始まりです。
今回もお読みいただきありがとうございます。
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